リレーメッセージ

605 鞍陵25回生 ニュース VOL.47掲載予定
倉田 徹也(くらた てつや)です。 3年6組 新潟県在住
※(注)はHP管理者が加筆しました。
 昨日(注:8/29)朝、小林様(注:1組小林喜平さん)から暖かいお電話を拝聴いたしました。
皆様と、ご連絡を取らず40年、誠に申し訳ありません。
リレーメッセージなるものも私の所為で止まっていた模様。
昨晩、初めて、その存在を知りました。私にリレーを送っていただいた森さん (ガンジー)(注:4組森光博さん)大変恐縮です。バトンをずっとほったらかしにして。
確かに、あなたの事をガンジーと仇名した記憶がありますが、それを現在まで大切に愛用されている事に深い感謝でございます。こんな愚かな私にも、少し、鞍手高校のお役に立てたのかと安堵しました。
さて、拙い私小説を出版しました際、鞍手高校の図書館にでも寄贈できればの思いでお電話したところこんなに大勢の皆様から激励の温かいメッセージを頂戴できるとは思ってもいませんでした。
「やはり、川筋の人間は、情に熱い」改めて筑豊の絆に、万感の思いです。
昨日、小林さんのご紹介で、田中理恵?さん(6組田中美恵さん)にお電話させて頂きました。彼女は 同じ鞍手の出身で謂わば幼馴染。40年振りの電話にあたかも映画の一シーンの思いでした。
私同様、現在、大病を患っていらっしゃる様子。少し、先輩ずらをして「病は気 から・・・」と激励したのですが奇遇にも彼女が新潟で食堂をおやりになっている事。群馬との県境にある湯沢からは、車で二時間程かかりますが、来月、お顔を拝見にお邪魔することにしました。
私事で、全く音信を絶っていたいたのに、この様に、皆様とお話出来るとは、本当に予期せず喜び。
学窓の素晴らしさを改めて感じ、感謝の思いで一杯です。
越後湯沢は、東京から近く、スキーで有名なところですが、春、秋の山並みには日本情緒が溢れ沢山の地元の祭りが行われる米ところです。是非、お時間が許す方はお声を掛けてください。
長野、福島、群馬の県境に位置し、童謡が、どこにいっても聞こえてくるような日本原風景そのものの街です。観光ガイドを勤めさせていただきますので。
それでは、私のバトンは、高校演劇で無二の親友だった瓜生博幸さんにお願いします。
高三になる春休み二人で四国を旅したあの日の思いでは忘れられません。
彼は、一途に観光をしていましたが、軟派な私は高知で年上の女性とデイトしていたあの日。
あの日から、今の二人の運命が決まっていたのかもしれないと、ご立派になられた瓜生さんにバトンです。

209 鞍陵25回生 ニュース VOL.46-1掲載
荒井 都志子(あらい としこ)です。 3年4組 東京都在住
 1年4組で同じクラスだった竹本くんから危うくバトンを落としてしまいそうなバトンタッチをされた荒井(尾上)都志子です。短大卒業後就職1年ほどで結婚。20年余り一度も離れたことのない故郷を離れ、夫の転勤であちこちに引っ越したあと、東京に落ち着いて25年が経ちました。一男一女も独立し、第二の人生これからと思いきや、還暦という年は否めず最近は膝痛、腰痛等々体のあちこちにガタが出て、改善、体力維持のためヨガや体操、整体治療などに励む日々です。それに、最近は言葉が出にくく、つれあいとの会話は「これのあれはどこ?」「それはあそこよ」などと代名詞だらけで、それでも通じることに時の積み重ねを痛感しています。東京で時々会う同級生との緊張感(?)のある会話を老化防止に役立て楽しんでいきたいと思っています。
 秋の旅行もとても楽しみです。次は1年4組繋がり&東京でも高校時代のままの付き合いを続けている(向野)実千代ちゃん、お願いします。

833 鞍陵25回生 ニュース VOL.46-2掲載
永田 謙三(ながた けんぞう)です。 3年7組 千葉県在住
 かなりの人が知らないであろう、存在感のない永田です。断りもなくバトンを渡され、(事前に言ってくれれば、断っていたのに)困りましたが、この機会に少しだけでも知ってもらうように、簡単に自己紹介をします。
生まれは、田川郡方城町です。高校までは、ここで暮らしていました。伊方小学校、方城中学校出身です。中学校では野球をしていました。この頃のことは、あまり覚えていませんが、
           ・絵がへたくそで、小学校の時に、図画がある日は学校に行きたくなかったこと。
           ・赤面症(話題が自分とは関係ないのに赤面する)で困っていたこと。
だけは、よく覚えています。高校(鞍手です)は、1年5組、2年6組(だと思う)、3年7組です。クラブ(野球/サッカー)をやりたかったのですが、勉強との両立で勇気がでず、クラブは諦めました。
 1年のときは、友達も少なく勉強を結構やってたような気がします。2年、3年は、少しは友達もでき、適当な日々を送ってたような気がします。大学(熊本)は、初めての一人暮らしが不安でしたが、2〜3日で、一人暮らしの快適さを実感しました。大学に入ったら、クラブ(野球)、勉強(数学)、酒をやるぞといきこんでいました。野球、酒は全うしましたが、勉強は、「あ、」というまに落ちこぼれてしまいました。大学は6年(2年留年)いましたが、勉強した記憶が全くなく、何故卒業できたのかも不思議でなりません。(たぶん追い出されたのでしょう)
 大学卒業後は、就職もせず熊本でブラブラとアルバイト生活をしていましが、だんだんいづらくなり、できもしない公認会計士を目指すということで、東京に出て行きました(この時、すでに28才でした)。東京に出てきてから1年半後、友人の紹介で現在いる会社にもぐり込めました。それから30年この会社に勤め定年をむかえました。そして今、再雇用として、現在もこの会社で忙しく働いています。友人には本当に感謝しています。家族は、妻、子供2人(女25才、女21才)です。
それでは、私に何かしら恨みがあるらしい、森貞雄君、お願いします。

ページのトップへ ↑

リレーメッセージ バックナンバー

     icon Vol.45は増刊号のためリレーメッセージは欠番です。
     icon Vol.44のリレーメッセージ
     icon Vol.43のリレーメッセージ
     icon Vol.42のリレーメッセージは欠番です。
     icon Vol.41のリレーメッセージ
     icon 旧・鞍陵25ホームページのリレーメッセージ

ページのトップへ ↑