鞍陵会 高校25回 ニュース VOL.16

ああ咸臨丸

【1860年安政7年1月19日、勝海舟ら合計90名余りが咸臨丸でアメリカに向けて浦賀を出航する。日米修好通商条約の批准書交換のために派遣された遺米使節団の随行船である。福沢諭吉も同船する。
浦賀出航後1ヶ月余りの後サンフランシスコに到着。同船はわずか380t、推定速力6ノットの木造蒸気船であった。 長い鎖国に慣れた日本人にとって初のアメリカ体験は驚嘆すべき一大カルチャー・ショックであったことは言うまでも無い。】
と歴史書に記されています。
その141年後の2001年現在、飛行時間にして約9時間半でサンフランシスコに到着します。
9時間の禁煙の辛さに比べれば、はるかに咸臨丸での航海の方が辛かったでしょうね!
先月の下旬、サンフランシスコにあるスタンフォード大学とシリコンバレーへ訪問しました。現地でのお世話は経済産業省のお役人で、若いにもかかわらず大変良くして頂きました。しかし到着後まずその若いお役人の上司からのレクチャーを受けた訳ですが、いきなり『"B to C"はもとより"B to B"も苦戦をしいられ、ここシリコンバレーではドットコムバブルははじけている、君達は何しに来たの』と高飛車な態度。東大出のキャリアらしく年は我々と同年代、各人の質問にも耳をかさず延々と彼の一人舞台、得意分野の現代アメリカ論に至っては口角泡を飛ばす勢い、おまけに逆に難解な質問を我々に浴びせられるありさま。怒りの頂点に達した私は思わず声を荒げ『私の話も聞きたまえ』と一言。
これが日本を代表する役人かと思うと背筋が寒くなった次第です。やっぱり日本は官僚主導型社会主義的民主国家なのかなと異国の地で感じた次第です。
時局への認識を勝海舟に語らせたら「ときの幕府はもはや腐りきっている。外国の脅威を前にしながら幕府の指導者層は因循姑息に明け暮れている。」と言ったところでしょうか。
しかしながら私なりに楽しんできました。GuyのRandyはじめM.DのJoseph、弁護士のPamelaさんなど皆さんに親切にして頂きました。ちなみにRandyの奥様は日本人の男性だそうです。

・・・・・・・協賛広告宜しくお願い致します。・・・・・・・

記念誌部会のメンバーのご尽力で協賛広告の段取りがすべて整いました。相当ご苦労された事と思います。紙面をお借りしてお礼申し上げます。
そしてすでに皆様方のお手元には趣意書をはじめ領収書等の道具が渡っている事と思います。今度は皆様方のお力を頂く番ですが、決して無理をされずに自然体でお願い致します。
昨今デフレスパイラルへの突入が鮮明になってきており、昨年より一層厳しい景気でございます。お願いできるところは積極的に、そして出来ない所はそれなりにお願い致します。
各部会の予算案も大まかには出ましたが、それも最終的には協賛広告次第でございます。 企画が先か予算が先か待ったなしの議論が続く訳ですが、いずれにせよここ2〜3ヶ月が勝負所です。
お近くに協賛広告がお願いできる知人・友人がいらっしゃいましたらぜひ事務局までご連絡願います。一人一人のお力添えが本当に必要となりました。最後になりますが本番まであと5ヶ月です、更なるご協力をお願い申しあげまして私の巻頭の挨拶と致します。

2001年鞍陵祭実行委員長 吉田 祐司


2001年3月