鞍陵会 高校25回 ニュース VOL.5
ときめいた刻 ときめく時
ときめいたあの頃 ときめく今

ちょっと堅い話ですが、ぜひお読みください

鞍陵会高校25回の皆さまにおかれましては益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
このニュースを発行し始めて半年が経過しました。その間"1998年鞍陵祭"や"ここらへんで集まろう会"が開催され、多数の方に出席いただきました。事務局を代表して厚くお礼申し上げます。
また「ここらへんで集まろう会」において、大変なご苦労をお掛けしました地区幹事の皆さまには重ねてお礼申し上げます。

さて"1998年鞍陵祭"や"ここらへんで集まろう会"に出席させていただいた時「なんで会費は払わないかんと。その1万円なんに使うと」という質問をずいぶん頂きました。もちろんその趣旨や内容等は、その都度説明しているつもりですが、いかんせん事務局の力不足で十分にご理解いただけていないのが実状ではないかと感じております。このような反省の上に立ち、今後は鞍陵会や鞍陵25回のことを一人でも多くの方に理解していただくために、より一層努力していくつもりです。
そこで今回はニュースの紙面を借りまして鞍陵会高校25回の運営について、ご説明させていただきたいと思います。
まず鞍陵25回が発足してから、今日までのいきさつについて説明したいと思います。 昭和の終わり頃、今から10年以上前に、ベンちゃん(山上勉:6組)から私に(吉田祐司:1組)手紙を頂きました。「転勤することになったので地元の人が中心になって25回のお世話をしてくれ」という内容でした。何をやっていいのかわけもわからずに引き受けてしまいました。それまではベンちゃんが中心でやってましたが、結局私と交代することになりました。
その後、名前だけの代表幹事がずいぶんと続いた訳ですが、ある日突然鞍陵会本部より鞍陵会館建設の寄付金についての趣意書が舞い込んできました。我々に課された金額は100万円です。当然のように無視していました。さらに我々25回生が鞍陵会へ納めるべき会費の督促状が来ました。滞納していた会費がなんとン十万円もあったのです。ベンちゃんから引き継いでなにもしなかったつけが、一気にきてしまいました。名前だけの代表幹事としては、地元にいる有志に声をかけ事務局、会計などになってもらい、この問題について色々と議論いたしました。地元に住んでいる長老(OB)からのプレッシャーは凄いものがありましたした。
暗礁に乗り上げたある日、当時鞍陵会会長だった向野さんから「吉田君たのむよ」と言われ、その一言で私は100万円立て替えようと決心しました。帰ってくるとも限らない100万円ですが、男気をだしてしまいました。
とりあえず同窓会館の割り当て金については済んだ訳ですが、今度は会費の問題が残りました。滞納している我々25回の情報がすべての鞍高卒業生の耳に入る訳ですから、先輩からの冷やかしも随分とありました。
代表幹事である私だけが言われるのであれば黙って我慢をすればいい事でしょう。しかし同じ職場や仕事の関係、友人、知人の中に鞍高卒業生がいて、私と同じように「25回生は・・・」と言われる仲間のことを考えると「このままではいかん!」という思いでいっぱいでした。


1999年3月