1999鞍陵祭に多数の参加、ありがとうございました

1999年8月7日(土曜日)夕方6:30から1999鞍陵祭がありました。
今年のキャッチフレーズは「Time 時・を・み・つ・め・て」でしたが、来年のキャッチフレーズは「思い出は世紀(とき)を超えて just 2000」・・・そして我々の当番幹事となる2001年のキャッチフレースズは「ときめいた刻(とき)ときめく時(とき)」と"トキ"続きのキャッチフレーズになるね、という話に対し、確かにシングル"トキ"が2年続き、我々はダブル"トキ"で締めくくるんだ。と言い聞かせながら鞍陵祭への出席以来や鞍陵25総会の準備を進めてきました。

鞍陵25総会の準備に集まった会議の席上では「今年は何人くらい来てくれるんだろう?」 という話題が頻繁に出ていた。
「昨年が40人だから50人くらいじゃないか」「いやあ、もっと多いんじゃないか」というのも二次会の佐賀屋の大広間を予約して、大人数に対応できるようにしたが、席を幾つくらい用意しておくか、頭を痛めていたのである。
そして鞍陵祭開催の一週間前の会合で、各地区幹事さんに鞍陵祭出席の呼びかけをしてもらうことが決まり、各地区幹事さんは一週間連絡に奔走したのであった。
当日は台風接近により朝から天気は荒れ模様。風は強く、雨も時折、降っている。鞍陵祭終了後、関係者から聞いた話では、当日は最後の最後まで当番幹事の学年代表幹事さんは、グランド実施を決行するか、体育館に会場を変更するかで迷いに迷っていたそうです。
恐らく23回代表幹事さんも「鞍陵祭のある時間は天気が良くなる」というジンクスを信じ、グランド実施を決断したものと思いますが、結局何とか天候に恵まれ、昼間荒れ模様の天気も夕方には回復し、いつもの通り天候に恵まれた鞍陵祭となった。
実は個人的には、心のどこかで「今年あたりそろそろ、雨が降ってくれないかなあ。そうすれば2001年の鞍陵祭までしばらくは天気が続くだろうになあ。」なんて訳のわかんない事を呟きながら、5:30に会場入りする。


夕方5:30に会場入りする頃には、何となく怪しい空模様だが雨も上がり、今年も雨には降られそうにないようだ。
事務局の集合は5:45だったのでまだ誰も来ていない。一番乗りとなった事務局の山本博喜君と二人で受付を済ませて、ふと振り向くとそこには千々和一豊君が立っていた。なんと早い登場なんだ!と思っているとあっという間に、開始20分前には校門の前には25回生が30人以上集まっている。
昨年、一番遠方の関東からの参加となった小林喜平君、山本順子さんが、今年も参加してくれたばかりでなく、更に山上勉君、向野実千代さん、田村(高津)優子、さんの3人が関東から参加し、5人の参加となった。さらに今年は関西から中島芳輔君が参加してくれた。
一番驚かされたのは、新潟から加藤(田中)美恵さんが参加してくれたことだ。昨夜、幸さんに「行くよ」と連絡があり、台風の進路によっては飛行機が欠航するかも…という状況の中で、定刻には校門前の並木の中をさっそうと現れた。
本会も始まり、昨年の出席者の実績によりテーブルが二台セッティングされていたが、すでに座れない人が出てきたためテーブルが運ばれ、最終的には四台のテーブルが用意された。いつもは校舎を背負う形で旧テニスコート側にステージが用意されているのだが、今年は反対側にステージが作られ、なんだかそれだけで、いつもと違う鞍陵祭のような気がしてくるから不思議なものである。本会が始まって30分も経過すると参加者は50人を超えたため二次会場である佐賀屋に電話し、50名から60名分に人数を変更する。
ここで二次会からの参加者を含めて、参加していただいた方を紹介しましょう。

'99年 鞍陵祭本会参加者(総勢66名)
1組(7人):小林喜平、末松康治、田中雄一、長野雅弘、牟田淳一、山口章、吉田祐司
2組(10人):波止陽、福川正明、深見健児、林繁広、尾仲孝徳、内田清巳、 田村(高津)優子、松本(中野)真理子、長谷川(宮近)玲子、森(吉田)真理子
3組(3人):花田公一、藤田幸義、米森和彦
4組(8人):大森孝之、河谷充、佐野正典、高岸和彦、安部瑞恵、 森本(田丸)やよい、松尾(藤原)郁恵、中川(福原)祥子(2次会より)
5組(9人):千々和一豊、松尾武俊、本浪章生、山本博喜、高木寿子、 榎本(平田)周子、宮地直美、東(幸)真須美、渡辺 和則(2次会より)
6組(10人):阿部直昭、南里(浦田)和俊、坂中正敏、仲嶋芳介、野田脩二、 山上勉、山口(桑野)恵理子、加藤(田中)美恵、立花(代田)直子(2次会より)、 永野(藤岡)由紀子(2次会より)
7組(6人):永末秀夫、那須繁、古野祐子、本松容子、添田(安永)公子、 植木(山本)順子
8組(13人):武内功、手嶋弘、藤村直敏、森本(亀田)優子、 武田(栗原)都、宮瀬(栗原)優里、向野実千代、吉田(高辻)百合枝、 永末(土井)加代子、入江(長山)敦子、禿川(林)彰子、武内(日比生)景子、 柴田(森)恭子
延べ合計参加者数66名


校門前で、遅れてくる人のためにチケットを手に30分ほど待っていたが、ほとんどの人は、定刻に駆け付け、遅れてくる人はほとんど居なかった。
30分ほど遅れて会場に行くと、3つのテーブルは満席状態。4つ目のテーブルにも何人かが座っており、立って話をしている人、体育座りで話に夢中の人など、宴は始まったばかりなのに、大変な盛り上がりようである。
本会は年毎に派手な演出が無くなり、会話を楽しめる状況の中で、4つのテーブル間で人が行き来するものだから、まったく人数が数えられない状況である。
本会が終了し、二次会場に向かうとき、校門前には来年の当番幹事の24回生が揃いのTシャツを着て、来年のテーマを書き込んだ垂れ幕を持ち、PRに努めていた。
来年の鞍陵祭の終了時にはこの場所に我々が立つのだと思うと、身の引き締まる思いである。
本当に準備が間に合うのだろうか、と思いつつ二次会場に行くと、二次会からの参加者を含め予想をはるかに上回る66名もの参加者が席を埋めている。早速、総合司会の松尾君の一声で鞍陵25総会が始まる。吉田代表幹事の挨拶のあと、総会の議長を山上君が引き受けてくれ、議事が進む。
全ての議案が承認され、植木(山本)順子さんの乾杯で25回の宴が改めて開始された。その間、何度も東京に集合している関東勢のメンバーから携帯に連絡が入るが、総会中だったために電話をつなぐ事が出来ず、イライラさせたことと思います。紙面を借りてお詫び致します。
宴が始めると携帯電話はフル稼働を始め、いつもの事ながら誰が誰と話をしているのか全く分からない状況である。恐らく何人かは自分が誰と話をしているのかも分からないまま話が弾んでいる人もいるようだ。最北端から出席の加藤(田中)美恵さんの万歳で二次会は終了となり、写真撮影の後解散となったがほとんどの人は、そのまま会場内で飲みつづけ、話しつづけている。

三次会場を手配していなかったため、急遽「THE BER」に15〜16人の席を確保し、残っていた人は店に移動する。店に到着した人は20人以上となり、座れない人がいたが、我々のパワーに圧倒された他のお客さん達が次々に帰る事となり、10分もすると全員が無事席を確保できた。ほんの3〜4年前まではこの時点で残って飲んでいるのは「ムサイ野郎達」だけだったのに、今は半数が魅力的な女性達である。女性が同席してるというだけで、こんなにも華やかに、賑やかになるものかと感心してしまう。結局12(午前零)時を回ったところで三次会は解散となった。
最後まで付き合っていただいた多くの女性の方々には本当に感謝致します。そして「行ってみようか。」と思い立ち、会場に足を運んでくれた全ての人に感謝致します。
10月15日には(永田町・海運ビルにて)東京鞍陵祭も開催されます。事務局から応援に行きますが、応援というより各地区の方々にお会いできる事が最高の楽しみなのです。
さらに、これから秋にかけて再び各地区の「ここらへんで集まろう会」が開催される事と思います。いままで参加できなかった方は勿論のこと、これまで協力していただいた方々にお会いできるのを楽しみにしていますので、ぜひ会場でお会い致しましょう。